建築デザインに対する思い。

私たちのホームページにアクセスいただきありがとうございます。
会社をより深くご理解いただくために、私の生い立ちの話をさせていただき、
私の建築デザインに対する思い、会社の社会的使命をご理解頂ければと思います。

お寺の境内と暖炉のある洋館。

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1歳

物心がついた頃、私たち家族(父・母・姉・私)はお寺の境内に住んでいました。
そこは襖で仕切られた角部屋の6帖一間、トイレは庫裏のものを使用し、
一家団欒の食事をつくる台所は、その部屋を囲む縁側にポツンと
出ている蛇口の場所でした。
朝夕、母は縁側にまな板を置き、境内に生えていた三つ葉を摘んで
私たちを育ててくれました。
友達にも恵まれ、いつも仲間たちとお寺の竹林を吹き抜ける風と一緒に
群れをなして遊んでいました。
ただ、年に1度の仲良しグループからの誕生会への誘いは、子供心に辛いものがありました。恥ずかしくて、友達を自分の家の中に上げられたかったのです。

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意外とダンディーだった3歳
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そんな生活の中、私は時折、母の実家に預けられることがありました。
それは短いときで、夏休み、冬休み、春休み、長い時は1学期、1学年という単位で預けられました。
その家は100年以上たった商家で、入口には苔むした広い土間と大黒柱があり、
そこと一体となった12帖ほどの畳の間がありました。その横には帳場です。
広い分厚い苔の絨毯を敷き詰めたような庭の奥には蔵が4棟あり、
その一つにはもう使われていない酒樽が並んでいました。
座敷の端には茶室があり、その隣は2階建の各部屋に暖炉のある洋館が建っていました。
子供のころを思い出す度に、絵を描く叔父や、母や叔母の弾く軽やかなピアノの音が聞こえてきます。
私はあまりにも違うこの2つの住環境の行き来を密かに楽しみにしていました。

ある日その家に数人の男の人たちがやってきました。
母の話を聞くと「お堂を建てる大工さんたちだよ。」と教えてくれました。
(後でわかったことですが、お堂とは納骨堂のことです。)
庭のいちばん高いところで、その工事は始まりました。
仮設の階段が造られ、基礎工事棟上げ、瓦葺きと、来る日も来る日も何もなかったところに建物が建っていく面白さに見入っていました。
大工さんが仕事も終わりの頃、お昼のお弁当のご飯粒を出して鋸屑とこね合わせていました。
「大工さん、それで何すっとね」
と聞きますと、ニコニコしながら木部の節穴や釘穴にそれを竹べらで詰めていました。
続く左官さんの仕事の時も、変な臭いのする海藻を煮詰めて壁材と混ぜ漆喰壁が塗られました。
他にも、建物にご飯粒や海藻が使われたりと驚くことがたくさんありました。
職人さんとの真新しい木の香りに囲まれた時間は、今も懐かしい記憶として残っています。

この2つの違った環境での生活はどちらが幸せだったのかは、一言では言えません。
竹林からの木漏れ日と風のざわめきに囲まれたお寺の境内での生活は、
貧しく狭い一部屋だったけれど家族そろっての生活で幸せでした。
母の実家での生活は、伝統的な日本家屋の奥ゆかしさと豊かな感性と文化を肌で感じることのできる生活でした。
そんな子供の頃の経験から、私はこのように思うようになりました。
「住み心地のいい家」とは、お金をかけることでも広い家を造ることでもない。
家族ひとりひとりの個室があればいいということでもない。
ひとりひとりの育った環境があり、生活に対する夢があるのだと・・・。

ですから今でも、私たちの仕事はお客様のため、そのご家族のためだけの
「上質で心地いいのデザイン」の発見にあると思っております。

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卒業すぐの頃
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美術大学時代の友人と

高校に進学すると、優しかった父が癌で亡くなりました。
そこで卒業後は大学に進まず、就職することに決めた私は、周りの勧めで九州最大手クラスの会社に入社できました。
しかし時がたつにつれ生涯の仕事をこの会社で送る自分の姿をどうしてもイメージできず、物足りなさを感じる日々でした。
20年近く生きてきて、はじめて真剣に悩み苦しみました。
そして考えたことが「やりたいことをやって失敗し後悔することより、
生涯を終える時やりたいことをやらなかったことを後悔する姿はより惨めだ。」という思いです。

この思いは今も変わりません。

そこで私は子供の頃の経験が忘れられなかったこともあり、「環境から建築までをデザインすること」を生涯の仕事にしようと決心しました。
周囲には反対されましたが、母と、当時すでに絵描きの仕事をしていた姉だけは賛成してくれました。
それから約半年間独身寮にいながらデッサンとデザイン、そして忘れかけていた学科の勉強を始めました。
週に1度それを熊本へ持ち帰り、姉や美術の先生方に見ていただき、そのおかげで美術大学への受験は成功しました。
東京では課題に追われる学生生活が2年間、新しい人、事、物との出会いの連続のめまぐるしい仕事の生活が3年間、その後、熊本に帰ってきました。
そして29歳の時、勤めていた会社の社長の突然のご病気で会社が解散になり、やむなく独立することになりました。

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忙しかった東京時代

突然の事、無謀にもお金も工場も仕事のあてもないのに、そこにいた腕のいい家具の職人さん4人で、知人の工場を間借りしてのスタートでした。
そのうちに月日がたち、小さいながらも自分の工場が持てるようになりました。
その頃の私は好奇心の塊で、建築のデザインに関わる事なら何でもしたいと思っていました。ですから、「家具を作る木工所」「商業施設をつくる会社」「住宅をつくる工務店」「建築設計事務所」と分かれているのが、ほんとうにお客様のためになるのかと疑問に思い、建築に関することすべてをお世話のできる会社がつくれないかと思っていました。
独立から数年後、より広く、より本格的に建築のデザインが出来るように、別会社で建築の設計事務所を始めました。

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なかなか仕事がさばけませんな…

それから30年間、様々なお客様の様々な
お仕事をさせていただいてきました。
各種商業施設、病院、老人福祉施設、温泉旅館など、ジャンルを超えた幅広い仕事です。
その中で私が守っているコンセプトは、都会的なデザイン、斬新なデザインの追求ではなく、
そこにお住まいになる方、そこを利用される方の『心地よさのデザイン』の追求です。

熊本のまちを美しく。

ここ数年は、特に住宅づくりに力を入れております。つくらせていただけばいただくほど、
責任の重さを感じます。それは大切な財産をお預かりすることと、
他の建物にないプライベートでデリケートな問題をお客さまと一緒に解決していかなければならないことです。
そして完成後お引き渡ししてから、ご家族とともにお住まいを守り続けていく役目があるからです。

建物をご計画される方に大切にしていただきたいことのひとつに、
建物づくりはそのまちの環境づくりでもあるということです。
「心地いい空間」はもちろん、住む方々のものですが、そこを通る人たちの「心地いい環境」でもあるわけです。
その連鎖が、熊本のまちを美しくしていくと思います。

私の好きな言葉に、「ものが人と自然の作用により美しく古びる」があります。
そういえば子供の頃、完成を見届けた納骨堂も自然と一体となって、今も故郷の地に美しく佇んでいます。

時間とともに美しくなっていくデザイン・素材・建築・環境を、熊本のまちに溢れさせていくこと、
そしてお客様のご意向を汲む建築デザイナーが自由に伸び伸びと仕事をし、
それをしっかりと支えていく施工監理力のあるスタッフの集団になっていくことが、私の生涯の目標です。
とりとめのない話に最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

「上質で心地いい空間」「上質で心地いい景観」をお考えの皆様方との出会いを心よりお待ち致しております。

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今でも会いに行くお堂
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